FIREしたいと思って日々を頑張ってるけど、安倍元総理の事件を受けてふと考えることがありました。
FIREして生きるために仕事から解放されることが目指すべきところなのか?
この問いはFIREを目指す人であれば一度は考えたことがあるんじゃないかなと思います。
FIREしたい、という思いの中には、
・忙しい仕事から解放されて自由になりたい!
・仕事しないで、趣味や遊びなどずっと好きなことをしていたい!
といった思いが私の中では動機でした。
でも、ずっと、FIREしてこのような考えが実現することが正解なのかな、と思っていた時に、
安倍元総理の事件が発生しました。
今回は安倍元総理の事件も踏まえて、私のFIREに対する考え方を書いていきます。
皆様の人生に対する考えに少しでも影響があれば幸いです。
FIREは大人になったら歳を取るまで働き続けることが常識、に対する反動で流行っている
と思います。
今の日本を見ていれば多くの人が肌で次のように感じていると思います。
学生を終えたら生きるために、したくない仕事で死ぬまでずっと働き続けるのが当たり前。
そう見える今の日本に、働かなくても生きていける生き方=FIREがある、と知ればみんなそれに食い付きます。
確かに、魅力的ですね。
働かなくていい未来に胸をときめかせ、それに向かっていくことは良いと思います。
でも、どこかで一度落ち着いて、働かなくていいことが本当に幸せなのか?
を考えてみるべきだと思います。
遊んでばかり、は仕事ばかりしているから羨ましく見えるだけ
だそうです。
私自身がFIREしたわけではないですが、わかる気はします。
実際にFIREして遊んでばかりをしてみた人たちは、
・遊んでばかりだと飽きてくる。退屈になってくる。
・自分は世の中の役に立っているのだろうか、なんのために生きているのだろうか?と不安になる。
・結果、何かしらの仕事を始める。
そうです。確かにそうですよね。
誰の役にも立っていないという思いはしたくないんでしょうね。
尊敬する人たちは何かを追い求めている
と思います。例えば、
・安倍元総理は、あんなに頑張らなくてもいいのに、日本をより良くしたいという思いで体が悪くても常に政治活動を続けていた。
・イチローや新庄は日本で活躍して、年棒が下がるにも関わらず、挑戦したいからメジャーに行った。
というように、尊敬している人たちは、決して何もしなくても良い楽な世界を望むのではなく、
何かを成し遂げるため、過酷だけどやりがいのある世界を望み、挑戦し続けていると思います。
その姿に私は心が惹かれます。
だから、経済的自由を手に入れて、何もしなくても良くなることが幸せではないと、私は考えます。
個人単位では正しいことであっても、全体としてみたら正しくないことがある。
合成の誤謬という言葉を知っていますか?
ミクロの視点では合理的な行動であっても、それが合成されたマクロの世界では、必ずしも好ましくない結果が生じてしまうこと
野村證券 https://www.nomura.co.jp/terms/japan/ko/A02884.html
例えば、
個人それぞれが貯蓄をすれば資産は増えていくけれど、国全員が貯蓄して節約すると国全体の消費が低下し、
企業は儲からなくなり、国全体としてみれば好ましい結果ではなくなる、ということですね。
つまり、今回のFIREについて当てはめて考えてみれば、
経済的自由を得て働かなくて良いことは、各個人にとっては幸せかもしれません。
しかし、仮に日本国民のほとんどが経済的自由を得たからといって働かない人になったら日本はどうなるでしょうか?
誰かが、建物を建てて、誰かが子供に教育をして、誰かが問い合わせをうけて、誰かが清掃して・・・
誰かがしないと困ることはいっぱいあるはずです。
日本は少子高齢化で経済も成長していない、そんな日本にいるより、海外に行った方が個人単位では良いかもしれません。
でも、その考えで日本国民の大半が日本を見捨てて海外に行ったら、誰が日本を救うでしょうか?
個人単位での正しいことが、大きな視点で見た時にはまた違った結果になる、このことをしっかりと意識しておきたいと思いました。
まとめ
経済的自由を得ることは大切だと思います。物事を判断する際に経済面で取れない選択肢があることは勿体無いです。
でも、経済的自由を得て何もしなくなることは個人単位でも、社会単位でも正しいとは言えない、ということが私の現段階での結論です。
では、何が正しいか?はまだわかりません。それは日々過ごす中で変化していき、見つけていこうと思います。
ということで、後半になるにつれ、過激になっていきましたが、あなたの人生観に少しでも参考になるものがあれば幸いです。